-K会講師OB・OG講師によるコラム- 数学つれづれ草 2018年度 K会講師OB・OGによるコラム | K会
現在は様々な学術分野や産業界で活躍するK会数学科の元講師達によるコラムです。
数学科の元講師達が数学とどのように出会い、学び、今も向き合っているのか。数学の魅力とは何か、その思いを語ります。
「数学の中の自然」山本 修司
数学の研究をしています、というと、“数学というのはとうにできあがったものでしょう、まだ研究することなどあるのですか?”という人があるらしい。ふつう高校までで習う数学はおおむね二百年前には知られていた内容なので、このように考えるのも無理はない。しかし実をいうと、現代数学には大小さまざまな未解決の問題がいくらでもあり、また何か一つ理論ができればそれに付随して新しい問題が生まれてくるという調子なので、数学が「できあがる」ということは想像がつかない。
しかしそれでは、新しい問題を作っては解く、また新しい理論を作っては問題を考える、などという自作自演(あるいは自縄自縛?)を繰り返して何になるのか?これは当然の疑問であるが、実際に数学の研究をしていると、問題にしろ理論にしろ、自分で「作った」というよりも、もともとそこにあったものをたまたま自分が「発見した」という感じを持つことが少なくない。いわば数学的自然というものがあり、自分はそこで起こる現象を観察しながら問題や理論を抽出しているのだ、という感覚である。
こういうことを考えるとき、筆者が思い浮かべるのは素数のことである。「ものを数える」という行為から、1, 2, 3... という数(自然数!)や、その足し算、掛け算といった概念が得られ、さらにそこから「これ以上小さな数の積に分解できない数」という素数の概念に辿りつく。すると、ある数が素数かどうかを人が勝手に決めることはできないので、例えば「7は素数である」という事実は人間の意思の及ばない自然現象のように感じられてくる。そこで、2, 3, 5, 7, 11... という素数の表をコード化して宇宙へ発信するという話もあるらしい。いつかそれを宇宙人が受信したとき、地球の言語で文章を書いても通じないが、素数表ならそれと分かるはずだ、というわけである。さらに素数にまつわる「現象」として「素数定理」も挙げておこう。詳しい説明はここではできない(ちなみにK会の集中講座で解説したことはある)が、大雑把にいえば、大きな数 x に対してx 以下の素数の個数はおおよそx─log x に近い、という定理である(なおlog x はx の自然対数を表す、ここにも「自然」!)。投げたボールの軌跡が直線でなく放物線を描くというのと、素数の個数が√‾x でなくx─log x という関数で表されるというのと、どちらも同じくらい「自然の現象」のように感じられないだろうか?
以上は、あくまで筆者なりの素朴な感覚である。これとは反対に、数学はやはり人類の創造物であって、上に書いたようなことは全て錯覚にすぎない、という立場もあり得る。これは哲学的論争の種である(実際に「数学の哲学」という分野がある)。ただ少なくとも、すべて自作自演と考えるよりは「数学的自然がある」と思う方がずっと楽しく、数学を豊かに感じられるということは言えそうである。結局のところ、数学の実践者にとって大事なのはそれだけのことなのではあるまいか。
-K会数学科OB講師によるコラム-
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