-K会講師OB・OG講師によるコラム- 数学つれづれ草 2016年度 K会講師OB・OGによるコラム | K会
「数学はいろんな夢を支えます」高橋悟/「じっくりと考えることの大切さ」伊藤哲史
「数学は、いろんな夢を支えます」高橋 悟
人に専門を聞かれたときは「経済学部に所属して、ゲーム理論を研究しています。」と答えています。現実の経済について何か知ってるわけでもない、すこし面映ゆい感じをごまかすための生活の知恵ですが、良くも悪くも、ゲーム理論がひとつの独立した学問分野ではない、という事実もほのめかしています。
ゲーム理論は、一言でいうと、戦略的相互依存関係のもとでの意思決定理論ですが、僕はここしばらく不完備情報ゲームというものにハマっています。
ちょっと具体的に。2人の漁師が漁に出ます。それぞれq1匹、q2匹釣ってきた魚は、市場で一匹当たりP = θ-q1-q2円で売られます。θ は需要を、q1+ q2 は供給を表すというわけです。各漁師は自分の売上高を最大化するように行動すると仮定します。つまり、漁師1は、
を最大化するようなq1=(θ-q2)/2を選びます。上に凸な2次関数の最大化問題ですね。同様に漁師2はq2=(θ-q1)/2を選びます。これらを(q1 , q2 )に関する連立方程式と見なして解けば、q1=q2 =θ/3が得られます。以上はクールノー・モデルと呼ばれる、寡占市場を分析するための基本モデルです。
実は上のモデルでは、完備情報、つまり需要(θの値)が2人の漁師の間で周知の事実になっていると暗に仮定しています。現実はそうとも限りません。θがある確率分布に従い、漁師1はθの値を知っているが、漁師2はその分布しか知らない場合もあります。あるいは、実際には漁師1も2もθの値を知ってるが、漁師1は「漁師2がθの値を知っている」かどうかを知らない場合もあります。もっと複雑に、漁師1はθの値も「漁師2がθの値を知っている」ことも知っているが、「漁師2が『漁師1がθの値を知っている』ことを知っている」かどうかを知らない場合もあります。情報構造にはキリがありません。
ゲーム理論家は(1)様々な情報構造をどう定式化するか、(2)プレーヤーの行動は情報構造のわずかな違いに関して頑健か、(3)直接目に見えない情報というものを、外部の観察者がプレーヤーの行動を通して「見分け」られるか、などの問いを立ててきました。(1)は、1960年代にHarsanyiが「タイプ」という概念を導入し、1985年にMertensとZamirが「ユニバーサル・タイプ」を構成することによって解決しました。あるプレーヤーのユニバーサル・タイプとは、そのプレーヤーが持つθに関する確率分布(1次信念)、他のプレーヤーの1次信念に関する確率分布(2次信念)、他のプレーヤーの2次信念に関する確率分布(3次信念)などをすべて書き並べたもので、ユニバーサル・タイプ自身がタイプであること、あらゆるタイプはユニバーサル・タイプにうまく「埋め込まれる」こと、などが証明されています。コルモゴロフの拡張定理という数学の定理を使った、ちょっと珍しい証明です。(2)や(3)は今も盛んに研究されていて、僕も何本か論文を書いています。
この文章を読んでいただいているみなさんは、数学に多少の興味はお持ちだと思います。「絶対不変の真理、宇宙の法則、生命の神秘を知りたい」…数学は、いろんな夢を支えます。僕は、中2のとき、兄のひっつき虫として日本数学オリンピックを受験したのが事の始まりです。その後いろいろあって、陰気な学問(経済学の卑称です)に身をやつすことになるのですが、それでも僕が講師をしていた十数年前、K会数学科は「純粋数学」だけでなく、僕みたいな「応用数学」の人を許容する懐の深さがありました。今も、これからもK会がそういう場であればいいなと思います。
「じっくりと考えることの大切さ」 伊藤 哲史
これを読んでいる皆さんの中には、数学などの理系分野が好きという人や、将来は理系分野で研究者になりたいという人もいるかもしれません。一方で、数学は好きなのだけど、どうも試験では点数が取れなくて・・・という人もいるかもしれません。 私は現在、大学の数学科で数学を研究している、いわゆる「数学者」です。私がいつの頃から数学者を志すようになったのかは覚えていませんが、中高生の頃に、『凸n角形に全ての対角線を引いたとき、そのn角形は何個の領域に分割されるか(ただし、3本の対角線が1点で交わることはないものとする)』という問題に全力で取り組んだことを今でも鮮明に覚えています(よかったら皆さんも考えてみてください)。
右の図のように、n=4なら四角形は4分割されますし、n=5なら五角形の内側に星型を書くことになるので11分割されます。これを一般のnについて求めよという問題です。きっと、何かの問題集に載っていたか、友達に教えてもらったのでしょう。少し考えて、複雑な和を計算すればよいことが分かりました。しかし計算が苦手な私には簡単な計算ではありません。等差数列の和の公式や、習ったばかりの公式
をあれこれ組み合わせてこの問題に取り組みました。うろ覚えですので、一つ一つの公式の導き方を確認し、何度も計算ミスを繰り返しながら答えにたどり着きました。何日間も潰したと思います。そして、途中はひどく汚い計算でも最終的にとても綺麗な式になることを「発見」して、とても嬉しかったことを覚えています。ところで、この問題が解けた後になって教えてもらったのですが、実は、この問題には鮮やかな「正解」があります。「正解」に従えば、ほんの少しの労力で計算することができます。最終的に綺麗な式になることも説明がつきます。私の考えた方法も論理的には正しいのですが、もし実際の試験でこんな効率の悪い計算をしていたら制限時間内に答えに到達できず0点だったかもしれません。
今になって思うと、私はこの問題を通して数列の和の公式を理解し、自信を持って使えるようになっていました。私は、中高生の頃にこのような経験—難しい問題に何日もかけてじっくりと取り組み、他人が見たら顔をしかめるような解法で答えにたどり着く—を何度かしました。雑誌『大学への数学』や『数学セミナー』には難しい問題が載っていたので、全力で解いたものです。考えることが好きだったのでしょう。「正解」とされる綺麗な解答に到達することは滅多にありませんでしたが、一見解けそうもない難問も何時間も何日間も粘り強く取り組めばいつかは解けるのだという妙な自信が付きました。そして、自分の理解を一つ一つ積み上げて結論を導く数学の面白さを実感し、いつの間にか数学の研究者を目指すようになり、大学は数学科に進学し、今に至るというわけです。鮮やかな「正解」ばかりを追い求めていたり、解法を暗記するといった勉強をしていたら、今の自分は無かったでしょう。
幸か不幸か、今の世の中には効率の良い「正解」があふれています。指導要領は驚くほど細分化・整理され、問題集には『これを暗記すれば点が取れます』というキャッチフレーズが並び、インターネットを少し検索すればさまざまな問題の「正解」を瞬時に見つけることができます。Q&Aサイトに宿題を丸投げしている人さえ見かけます。「数学を使う人」にとっては本当に便利な世の中になったのかもしれません。その反面、自分の力でじっくりと考えることの面白さを感じる機会が失われてしまったとしたら残念なことです。
私の経験がどこまで一般化できるのかは分かりませんが、自分のやりたいことを見つけること、そして、自分で納得するまでじっくりと考えることは大切だと思います。中高生の間は時間はたっぷりあると思います。いろいろなことに挑戦して、自分の興味の幅を広げてみてください。そして、自分がやりたいことを見つけたら全力で取り組んでみてください。制限時間がどうとか、他人がやっているとかいったことは、とりあえずは気にすることはないでしょう(そのようなことは試験直前になってから気にすれば十分です)。問題集に書かれた「正解」にはなかなかたどり着かないかもしれませんが、長い目で見れば、じっくり取り組んできたことこそが、あなたにとっての「正解」となる日が来ると思います。
-K会数学科OB講師によるコラム-
-
資料請求はこちら