-K会講師OB・OG講師によるコラム- 数学つれづれ草 2014年度 K会講師OB・OGによるコラム | K会
「出会いから学ぶこと」永井 保成 /「数学対話のススメ」斎藤 新悟 /「数学少年が弁護士になるまで」郷家 駿平
「出会いから学ぶこと」永井 保成
私はそもそも算数や数学が苦手でした。パズルを解いたりするのもどうも苦手でした。それなのに今では大学で数学の研究をしたり数学を教えたりすることを職業としています。どうしてそんなことになったのか、振り返ってみるとこれまでの私の人生の中に大事な出会いがいくつかあったことに思い至ります。
そもそも数学をきちんと勉強してみようと思い始めたのは大学受験の準備をしていた頃のことでした。私の習っていた数学の先生の中に「受験数学はくだらない、大学の数学科に行けばもっと高尚で本質的なことが学べる」といっていわゆる高校数学の範囲を超えた話をするのが好きな先生がいました。その話が面白かった、ということもあったのかもしれませんが、彼が言っている意味について、「物語」以上のことはあまり理解できませんでした。この人が勉強してわかることなら自分だって勉強すればわかるはずだ、と考えてそのころから数学の専門書を読むようになったのを憶えています。
大学に入ると、数学オリンピック経験者の同世代の人々と出会いました。そのあと程なくして、この人達とはK会の先生として一緒に仕事をすることになるのですが、とにかく数学が好きでたまらないといった感じの人達でした。当時まだ私は数学の問題を解くこと自体にあまり興味をもてずにいたのですが、彼らは暇さえあれば自分たちで問題を作って解いたりしていました。そのために、自分自身に劣等感を感じることも多かったのですが、大いに刺激を受けたことも事実です。数学の研究をしていくのならこういう人達とある程度競って行かなければならない、と。
大学院に入って数学を本当に専門的に勉強するようになってからは指導教員の先生の影響を大いに受けたことは言うまでもありません。博士の学位を取った後は期限付きの研究職の立場で数学を続けました。これは今日では普通のことですが、そうするうちに韓国やドイツの数学者に声をかけてもらってそれらの土地でそれぞれ 2 年程度研究生活をしました。この間にお世話になった先生達はみな数学的に優れていることはもちろん、人間的な魅力にもあふれていました。新しい先生と出会うたびに、自分では考えたことがないような考え方を持っていることに瞠目し、そこから多くのことを学びました。
算数や数学が苦手だった私が今日も数学の専門家としてやっていられるのは、このような数学に関係する人達との出会いに支えられてのことだと思うのです。その人達の優れた点に驚き、それを少しでも自分のものにしようとする過程が私を成長させてくれたように思います。いつの間にか、数学の研究、つまりは自分の数学の問題と格闘しながら解いていくことがとても好きになりました。
若いうちは、「自分の人生は自分の力だけで切り開いて行く」といった不遜ともいえるような考え方が役に立つこともあるかもしれません。しかし、多くの人にとって、独力で切り開いて行くのには、長い人生には困難が多いことも確かです。尊敬できる人達と出会って、その人達から何かを得ることがあなたの人生の確かな道標になるはずです。あなたの身近に、もしかしたらK会の教室の中に、あなたの人生を導いてくれる出会いがあるかもしれません。
「数学対話のススメ」斎藤 新悟
このコラムの読者には数学好きの人も多いかと思います。ではみなさんはどのように数学と付き合っているでしょうか? おそらくは授業を聞く・問題を解く・本を読むなどが代表的なものでしょう。これらはもちろん数学を学ぶ上で欠かせない方法ですが、ここではそれに加えて「対話する」ことを推奨したいと思います。そのために私が経験した2つの数学対話の例をご紹介します。
1つめは数学を専門とする人どうしの対話です。大学の数学科に進むと、多くの場合「セミナー」と呼ばれる科目が必修となっています。これは、学生が本や論文を読んで分かったことを教員や他の学生の前で黒板を使って話し、聴衆はそれに関して質問をするというものです。発表者はスムーズに発表できるように、十分に理解して分かりやすくまとめたと自分で思える段階まで準備するわけですが、実際に発表してみると議論に穴があったり理解が不十分な点が露呈したりすることも多く、このような経験を通して数学科の学生は数学における本の読み方や議論の進め方を学んでいきます。また、聴衆は単に聞くだけではなく積極的に質問することで、自分が発表をきちんと理解できているかが確認できますし、発表者とは異なった理解の仕方を場に提供して参加者に貢献するということにもなります。
2つめは数学を専門としない人との対話です。九州大学にはマス・フォア・インダストリ研究所という産業技術に関わる数学の研究所があり、私自身も企業の人や他分野の人と議論・共同研究をする機会に恵まれてきました。分野が異なると、考え方・目標・話し方・記号法などが異なることが多いため、最初のうちは意思疎通が難しい場合もあります。しかし、自分のアイデアを相手に伝えようと工夫することでアイデアはより明確なものになり、それを他分野の人のアイデアと組み合わせることで思わぬ進展が得られることがあります。例えば九州大学などで行われているスタディ・グループ・ワークショップでは、産業界の方が抱えている数理的な問題に、様々な分野の数学を専門とする大学院生・研究者が1週間程度取り組みます。期間が短いにもかかわらず、問題解決への糸口が見つかることが多く、ときには完全に解決してしまうこともあります。これは異分野の人が対話を重ねることの威力を示す端的な例と言えるでしょう。
これら2つの事例はどちらも数学の内容そのものに関する対話ですが、数学が好きな皆さんは、例えば歴史や文学が好きな友人と、自分がそれを好きな理由、その魅力などについて語り合ってみましょう。自分の考えを整理し、またいろいろな分野を知ることができますし、将来やりたいことについてもより深く考えるきっかけになるかもしれません。数学対話ができる友人を中高時代に是非見つけてみてください。
「数学少年が弁護士になるまで」郷家 駿平
私とK会の出会いは「衝撃」の一言であった。
中学1年生だった私は、K会の冬期講習のパンフレットを見て、本物の数学を学ぶという宣伝に惹かれて申し込んだ。それまで私は、算数・数学は得意だと自負していたため、さてK会とやらはどの程度のものか、といわば高をくくっていた。
しかし、開講前に送られてきたテキストを見て愕然とした。1ページ目からいきなり「∀a,b∈G,a*b=b*aが成立する群GをAbel群という」といった難解な文章(?)が容赦なく書かれている(当時のK会は創設間もなかったため、試行錯誤の真っ最中だったというのは、後にK会の講師を務めた時に知ることとなる)。必死の思いでAbelという単語を英和辞典で調べたところ、「アベル:聖書上の人物。アダムとイブの子」と書いてあって混乱が深まるばかり(実際は数学者の名前)。
より衝撃的だったのは講座を受講してからである。わずか4日間の講座にもかかわらず、目から鱗が落ちるような思いをして、あの難解なテキストも少しは読めるようになっていたのだった。そして、それまで自分が数学と思ってきたものは、学生をテストするためだけに用意された、「出題者の作り物」にすぎないということ、「本物の学問」とは「学年」もなければ「正解」もない、もっと奥深いものだということを肌で感じることができた。
ほどなくK会の1期生としてレギュラー講座を受講するようになり、結局高校2年に進学するまで受講し続けた。その間、数学の厳格な論理展開(要は、数式の羅列)と、その背景にある自由な想像力とを学んでいくこととなり、難解な数学の理論に食いついていく思考力も身に着けることができた。
数学を志して大学に入学したが、大学2年の時に文転を決意する。高校3年の時に起こった2001年9月11日のテロが頭にこびりつき、社会、政治の「本物」を学んでみたくなったからである。そして、政治、経済を中心に幅広く学ぶうちに、職業として法律家を志すこととなった。
文転した時と、さらに法律家を志した時の2回、専門を変えているが、そこでは、数学を学んだときに身に着けた思考力が大いに役立った。とりわけ法律学は、論理展開と、その背景にある社会的規範(全ての人には人権が保障されるべきである、等)とをうまく調和させるのがミソであるが、これは数学において、論理展開と、その背景にある想像力(例えば、図形を用いた直感的な想像)とを調和させるのと、テクニックとしては似ている。その甲斐あってか、司法試験にも1回で合格し、現在は駆け出しの弁護士として働いている。もはや数学とは縁遠い生活をしているが、数学で学んだ思考力は、今なお日々役立っている。
私は、中学1年生という多感な時期にK会で数学に出会うことによって強い刺激を受け、学問の奥深さ、思考の作法、そして何より、「本物とは何か」を知ることとなった。若い皆さんにも、無限の可能性を秘めている今のうちに、本物の学問に触れる機会を持っていただくことを、1人の先輩として、強く願っている。
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