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全ての人に与えられる「運」を、感謝して受け止められるか気づかずにスルーするかは本人次第

「レーシングチーム亀」は「ロンリーうさぎ」よりも圧倒的に速い ― 「運」は多くの人からいただくエネルギーのようなものなのです。

「運がいい」ということ

事実なのか都市伝説なのか定かではありませんが、松下電工の会長であった松下幸之助氏が、人事採用の最終面接で「運がいいですか」という質問をたった一つだけして採否を決定した…という話が、まことしやかに出回っています。

かつてこのエピソードをはじめて聞いた時、なぜ同氏がたった一つだけ、そんな質問をしたのか、理由を聞くまでもなくその真意がわかるような気がしたのです。実は、私はそのエピソードを知る前から、受験においては全く同じことがおこると考えており、やはり「見る人」が見るところは違うな…と思ったものです。
「運がいい」とか「運が悪い」とかいういい方が持っているニュアンスは、人によって様々でしょう。しかし、そこには自分中心だけで何かを考えているのか、他の人からの視点を持って見ているのか、中心となっている場所が課題のような気がしてなりません。

「今日は先生が体調不良で休んだので、授業が流れちゃったよ。運が悪いね」
「今日は休講になったので、他の教科の予習が余分にできちゃったよ。いやぁ、運がいいね」

どっちも運がいいところと悪いところの両方の面を持っています。これが日常の学習への考え方に反映されると、もう少し分かりやすくなります。

「自分に合う授業や先生を一生懸命探していますが、なかなか見つからないんですよね」
「わからないことがいくつもあるんで、とにかくいつも先生に質問にいっているんです。」

予備校にいると、この二通りのパターンの人がそれぞれ存在します。「一生懸命自分に合うものを探している人」は、自分の考え方に自信のある方で、おそらく自分の必要なものさえあればいいいと思っている学習センスのある方なのでしょうね。いわば「アレさえあれば自分は無敵になれる」というアイテムを求める人です。一方の「いつも質問している人」は、学習センスに自信はないけれど、周りの人の力を活用して「手元のもの」で勝負する現実主義の方だといえます。
さて、こういうとまるで私が新しいことを見つけたような言い方をしていますが、考えてみれば、昔の人はこういう人たちを「うさぎと亀」として童話で描いたのではないかと、この歳になってようやく気づきました。さすが昔の人は偉かったのです。

さて、子供の頃、皆さんの多くは「才能にものを言わせるうさぎ」の応援をした人は少なかったはずで、むしろ「平凡な亀の勤勉さ」を見習ったのではないでしょうか。近頃はいかにして「うさぎ」になるかを考えるノウハウ本も出ていますし、そんなYouTubeも配信されています。わざわざ特集するところが、要はそれが簡単ではないことを裏返しで示していますね。ということは、やはり「亀」を応援するところは日本人の伝統といったところです。

予備校が生徒に指導をするとき、もちろん全ての生徒に必要なことはちゃんとお伝えしています。しかし、実際にそれを実行したり、現実味を持って捉えたりすることには個人差があります。自分ができていると思っている人は、「そんなの必要なんですかね」という反応ですし、一生懸命で何でも吸収しようとしている人は「こうするんですよね」と、言った私よりももっときっちりとやろうとするものです。もちろん、そういう人は、「次はこうするとよいよ」とか「これもやっておきなさい」という指導を講師からももらえることは多く、それを実行して質問に来ることで、さらに指導をもらえるようになります。
要は、この生徒を何とかしてあげなくてはならない…と相手が思うようになるかどうかは、その生徒本人の行動にかかっているのです。うさぎは亀と同じものをもらっても、自分の都合を優先するためには必ずしも実行しないものです。「他人からのアドバイス」は「運」の具体的な形です。「運」は全ての人に与えられるのに、それを感謝して受け止められるか気づかずにスルーするかの違いは、本人にあるのだと私は思います。つまり、全ての人は「運がいい」のですが、それをものにするかしないかは本人しだいなのではないでしょうか。

社会の善化活動

善化活動というと大袈裟ですが、この人を通じて自分の持っている力を世の中に出せれば、社会に貢献できるのではないか…そう思わせるような人なら、多くの方が協力してくれるような気がします。ある医学部の面接試験で、「あなたを合格させると当方にどんなメリットがありますか」という質問がされています。尋ねられた受験生は仰天したでしょう。いろいろな回答が考えられますが、私はこんな「回答」を考えてみました…。

「私は将来、臨床医を目指しています。この大学の教育が持つ力を社会への貢献に変えることが可能です」

皆さんの考えた回答はどのようなものでしょうか。もちろん、補助説明として、自分の将来目指しているビジョンを付け足すことができることが必要です。それぞれの大学は自分達の力を注ぎ込んだ人が社会で活躍し、社会の変革や善化をおこなってくれることを期待しているはずです。

2年ほど前のこと、「法医学」を目指したいという生徒がいました。各種の外科や内科、場合によっては小児科などのメジャーな専門医を目指す人は多いのですが、第一志望が法医学や監察医という人は結構少ないといえます。しかし、だからこそなり手が少なく、希少価値のある仕事です。彼女は「生きている人に興味がない」と母親を困らせていたようですが、生きている人が理解できていないと死んでいる人をみられません。まずは医学の勉強を普通にしつつも、将来の法医学の志望は動機として持っておくようにお伝えしました。
彼女はある大学の推薦入試を受験しようとしていたのですが、私としてもその県の監察医や検死の状況がどうなっているのかとても気になり、県のまとめや報告書をある程度読んでみたところ、検死状況はかなり手いっぱいになっており、どのようにそれを解決するかが課題になっていることがわかりました。
この県の将来の監察医制度や法医学を担うためには、どうしても彼女に合格してもらわなければ困ります。そこで、県のそういった報告書や会議の議事録などを私なりに調査し、彼女に手渡してレクチャーしました。そこでその県がその大学の法医学に求めているもの、その大学でどのような授業がどの学年で開講されており、学生に何を求めているかなど、彼女の志望理由書の添削を通じてお互いに話を深めていったのでした。
彼女は全力を尽くし、結果としてその大学に合格してくれました。この合格は、彼女にとってもその県にとっても、とても喜ばしい結果になったのではないでしょうか。もしも、彼女が単に「医学部合格のチャンスを増やすために、どこかの推薦入試も受験したみたい」…という程度の話をしていたら、私はこれほど彼女にいろいろな資料を具体的に手渡すようなことはできなかったに違いありません。彼女に具体的な社会貢献の志があったからこそ、余計なお世話も焼きましたし、彼女の活躍を通じて私も何か社会のためになることをしようと思ったのです。そういう意味では、彼女は間違いなく「運がいい人」でしょう。

情けは人のためならず

「運」は多くの人からいただくエネルギーのようなものです。波調が合いさえすれば、たくさんのエネルギーが流れ込んでくるでしょう。ラジオに例えると、ダイアルを合わせることができれば、たくさんの音声が流れてくるようなものです。しかし、ほんの少しそれがずれているだけで、ラジオが何一つ音を発することがないのと同じく、自分本意の生き方や考え方は、結局は多くの方のアドバイスに気づくことを遠ざけるものです。
多くの人は「運が悪い」といいながら、本当は自分のまわりに流れる数多くのエネルギーを捨て去っているような気がします。社会に自分が貢献しようと心がける人は決して自分中心ではないはずですから、そういった人には周りの方が差し伸べてくれている手が見えるでしょうし、その言葉が聞こえるものです。「他人のため」は結局「自分に返ってくる」のだと思いませんか。

「情けは人のためならず」

こんな言い回しをご存知でしょう。情けをかけるのは他人のためにならないということ?…いいえ、違います。よく勘違いされますが、これには続きがあって、本当の言い回し全体は、

「施せし情けは人のためならず、己が心の慰めと知れ。我、人にかけし恵は忘れても、人の恩をば長く忘るな」

となっています。他人のために尽くすことは、何かの利得につながるからやるわけではなくて自分がしなくてはという気持ちがあるからやる、ということですね。それに、自分がしてあげたことを誇るような気持ちは持たないけれども、人からうけた恩は忘れないようにしたいものだという、新渡戸稲造の言葉です。
言葉としては知っていても、それを本当に実感するには経験が必要です。昔の人は偉かった…やはり、いいことをいいますね。他人に感謝できる人は他人のために自分ができることを考えるし、そういう人には多くの方が味方をしてくれるしアドバイスもくれる…つまり「運がいい人」です。どんなに優秀な人でも、自分一人でできることには限界があります。だからこそ、味方の人をたくさん持って、より大きな成果を出せるようにしたいものです。

自分本位の「うさぎ」は優秀であるがゆえに自分本意に一人で走ろうとするでしょう。一方の「亀」は優秀ではないけれども、誠実であれば「世の中」という最強の味方がついています。童謡「うさぎとかめ」には「どちらがさきにかけつくか」という歌詞があります。結果はご存知のとおりですね。「レーシングチーム亀」は「ロンリーうさぎ」よりも圧倒的に速いに決まっているのです。