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2021.9.3公開

「ミスしない」は、自然数の現実世界において「ここに0個のみかんがある」というようなものです。

日常の学習で鍛えるのは「学力」だけではなく、「習慣」です。

受験生の集中力

予備校でも高校でも、先生方は模試を受験する前の生徒に「どういうことを目標にするか」とよく尋ねます。すると、「ミスをしない」と答える生徒は結構多いように思いますがどうでしょう。一見、正しそうに見える物言いですが、果たして本当にそれでよいのでしょうか。
これは以前にもどこかでお話したことがあるのですが、「ミスをしない」は何の行動にも結びつかない「偽」行動目標だと私は考えています。というのも、「本番で実力を発揮できないこと」を「ミス」と表現し、そうならないように「ミスをしない」と目標を立てても、それは一体どういう行動をとっている状態かを具体的に述べていないからです。実は「ミスをしない」は、別のある行動の結果を、裏側から見て表現しているだけなのです。それなら、その表側を行動目標にしなくてはならないはずなのに、そこを突き詰めて考えていない人が裏側の結果のみを求めている状態なのですね。そこをもう一段深く考えないと、行動目標とはいえないでしょう。
具体的には「英文を読む時には構造の把握を1回で掴む」とか、「数学は最大スピードで完璧に計算を行う」などの具体的な行動に落とし込めば、日常学習で自分の行動目標に反映させることができるはずです。こういう行動全般を指して、私は「集中力を高める」とひとことで表現し、このことこそ、まさに彼らが目指すべき行動目標だと伝えています。
「集中力を高める」とは、一見、やけに普通に思えます。ところがこれは、無意識に「偽の行動目標」を立てようとする受験生を「本当の行動目標」に転換するための重要な指示なのです。「○○しない」というように、後ろに「ない」のついた行動は現実世界では取れません。しかし、そこで思考が停止しているのは、彼らが「現実世界で自分を向上させる行動」から、無意識に逃げてしまっているからだと思えるのです。「ミスしない」は、自然数の現実世界において「ここに0個のみかんがある」というようなものです。数学の理論上、筋が通って正しく見えると納得しそうな物言いですが、現実の世界では何一つ正しくありません。私が「0個のみかんを手のひらに載せて見せてよ」と指摘するまで、ほとんどの生徒が「あれっ?無理ですよね」とならないようなものです。
三次元の現実世界においては、客観的にそれを周りから認識できること、それが行動目標であるべきです。その代表的なものとして「集中力を高める」と私が単純にお伝えしているだけなのです。
実際に集中力を高めることができた生徒は、自習中に声をかけることがはばかられるくらいの空気感があります。一方、全く集中できていない生徒との差は歴然です。集中力のない生徒の極めつけは、教室後ろの「のぞき窓」から覗いただけで、気づいて振り向く生徒です。まるで忍者ですね。そういう人は将来、不意を突かれて暗殺される可能性は低いと思いますが、受験生として学力を高められる可能性も低いでしょう。
まずはそれを訓練しないと、次のステップのアドバイスができませんから、困ったことです。

自分を変える決意

誰かに「あること」をやるように言われたら、皆さんは問答無用で素直にやってみようと思うでしょうか。また、そういう状態で長期間それを続けられるでしょうか? 人間というのはそう単純ではありませんよね。
ですから、私がクラスの生徒の皆さんをご指導する際、「なぜそれが必要か」「それをすることによって過去に伸びた生徒はこうだった」などの理由づけや事実を付け加えて伝えることが普通です。とはいえ、一斉に伝えることができるのは一通りのことしかなくて、大体は個人の状況に合わせたご指導が必要ですから、面倒でも一人ひとりに見合う伝え方が必要です。

どんなにアドバイスしても「自分本位の学習」を脱出できなかったAくんのお話をしましょう。

彼はなかなか学力が伸びなかったのですが、特徴として「他人のアドバイスを理解しようとしない」傾向が強く、自分の行動を変えて、アドバイスを「実行してみる」ことはもっと苦手としていました。言い方を変えると…苦手というより、嫌なんでしょうね。彼は何でもかんでも他人にアドバイスをもらいに行くのに、何一つ実行しないのです。私には彼が「自分のやりたい方法を満たすもの」「欲しい答えを言ってくれる人」を散々探し求めていて、自分を1ミリも変えようとしない人に思えたのです。
彼は、アドバイスを受けたらまずはやってみればいいことでも、色んな人にどう思うかを散々確かめた上、他の人がとっくにやっているようなことを、時期遅れでようやくやり始めることが多かったように記憶しています。また、実行しはじめても、途中で本当にいいかどうかをまた気にしていろんな人に訊いてみるということを繰り返しているようでした。
よく廊下で立ち話をしていたのですが、本当は寂しがり屋で自分に自信がなく、いつも他人にどう思うかを尋ねてばかりの人…という印象です。人との繋がりを保っていなくては自分で決めたり、決めたことを自分が引き受けて徹底したりすることが不安なので、他人に聞いてみたくなるのですね。妙に耳年増的な知識ばかりを持っていることも気になる点でした。

忘れもしません、その年の2月24日の夕方、いよいよ明日は国公立大の前期試験という日、彼が講師の先生に質問に行った後、先生が随分と不機嫌だったのでどうしたかを尋ねました。先生は驚く話をしてくれたのです。

「彼の質問、冒頭に何と言ったと思う…? 化学が分からないんです…だってさ。」
「明日は国公立大の前期試験でしょう。過去問の質問かなって、こっちは身構えるじゃないの」
「びっくりしましたよ。今日までどうしてたのかなぁ…」

彼と同じような人は数多く見てきましたが、学力の高い人や最終的に成功した人は皆無と言えます。彼の入試結果がどうだったかは、ご想像のとおりです。

最大パフォーマンスを発揮するために

受験生は単に「自分を変える」だけではなく、学習リズム(スピード)も変える必要があります。生徒はよく「頑張っている」というのですが、それは「自分のペースで」という前提が付くのが常です。それはダメではないのですが、ダメなケースもあるのです。

ある年、3浪目のBくんとの夏の面談での会話をご紹介しましょう。

私はもともと「夏の学習は1日10時間まで」と生徒に伝えていますが、医学部受験生はそれを超えた時間の学習計画を作ることが結構多い特徴があります。生徒の皆さんが熱心なのよいことですが、これはこれで困ることがあります。

「君のこの計画では、1日の学習時間が多すぎますね。伝えたことと違いますよ。」
「そこを何とか、1日に13時間でお願いします。でないと、終わらないんです。」
「それ、君の都合でしょう。紙の上で書けたって、できっこないんです」

Bくんが勘違いしているのは、これまで自分がやってきたやり方でやると、1日に13時間のペースでやっていかないとおわらないということが「正しい主張」だと思っていることです。これはむしろ正当な学習の手法ではありません。本来、人間が1日に学習を集中できる時間はせいぜい10時間程度のものです。そこに目をつぶって1日13時間学習を紙の上で書いてみたところで、実際には効果がありません。
厄介なのは、彼らは本当に13時間机に向かっていること自体はできてしまうことなのです。たとえBくんが13時間机に向かったとしても、それは10時間分の内容を13時間かけてやるだけになってしまいかねません。だったら、10時間の内容のことは10時間で学習を済ませるようにスピードアップして集中させることが、本当の指導であるべきです。また、それができるためにはどうすればいいか考えることが、「正しい主張」ということになるでしょう。
指導者の中には、多めにさせないと十分な量の学習を生徒がしないからといって、質を無視して1日13時間学習を認めている人もいるようです。しかし、私はそういう学習方法を生徒が身につけてしまうと、問題を読んだり解いたりする基本的な速読力や計算力が、そのレベルに落ちてしまうことを警戒しています。自己ペースのパフォーマンスありきで入試直前まで学習継続していて、本当に入試本番だけ特別に力が発揮できるのでしょうか
例えば、大学入学共通テストや過去のセンター試験の数学は、時間があれば全て解けて当たり前でしょう。しかし、本番で60分や70分で解けといわれると相当苦しいのです。あと5分あったら解けた…などという人がいますが、そんなのは当たり前のことですよね。日常の学習でのんびり読んだり計算したりしている人が、本番当日だけ「鬼神の如き計算力」を発揮できるとでもいうのでしょうか。
知っておいてほしいのです。日常の学習で鍛えるのは「学力」だけではなく、「習慣」です。その「習慣」の中には、「集中力」「速読力」「計算力」の全てが入っており、「基本知識」やその「応用力」を生かすも殺すも、その人の習慣によって培われた能力の基盤が、最大パフォーマンスを発揮できるように鍛えてあるかどうかにかかっているのです。
大学が実施する独自試験(二次試験)を受験しにいくと、共通テストとは逆に1教科の試験時間は結構長く、90分から150分程度はザラです。その長い試験時間を1秒たりとも無駄にしないで答案作成に生かせるかどうかは、その日までの日常訓練がものを言います。昔の人は、こういうのを「日頃の行い」といったのでしょうね。にもかかわらず、

「日常の集中力ですか…。安心してください。やるときはやりますから、大丈夫です。」

とBくんは言います。しかし、私は彼に、どうしてもいわなければなりません。

「そうあって欲しいとは思います。しかし、昨年と一昨年も、私にそう言っていましたよ。」