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2022.1.6公開

医学部の面接試験のおかげで、受験生は“大人”になれる

はじめは「私」部分が大きく、「公」部分が小さかった自分が、「公」部分が大きく、「私」部分が小さな自分になっていく。面接試験の功名です。

社会が求めていること

最近の高校では「探求」の名称などで社会人的な感覚でものを考えたり、海外を訪れることで他文化や様々な社会的な階層の人たちの暮らしぶりを体験することをさせたりするようです。留学もまた海外の様々な経験を積むことによって、自国で現在自分が置かれている環境を客観的に見るための材料を与えるでしょう。
しかし、多くの高校生にとって、社会の中で自分の立ち位置を考える機会はそう頻繁にはありません。そんな中で、世間では「思考力」「判断力」「表現力」を入試で試すといっているのですから、高校現場ではいろいろな工夫をこらして先生方がご苦労されていることでしょう。
出願書類の志望理由書を通じて垣間見える、そのあたりの事情を考えてみましょう。現段階ではどちらかというと多くの大学では志望理由書そのものが必須ではありませんし、出願書類に多少の「書かせる部分」があっても分量が少なく、さほど真剣さが必要でないことが多いといえます。ただし、医学部の一部ではかなり真剣に書かねばならない体裁のものがあり、そうなるとそれなりの覚悟が必要です。
そういった志望理由書の作成では、単に「内容がどうか」というコンテンツそのものの問題だけではなく、書き始めるまでに自分の手元に書くための材料を集め、どのようなオーダーが志望理由書に方向付けられているかを考える事前準備が非常に重要です。
つまり、志望理由書は「書くより前」が大切なのです。そういう意味では志望理由書は自由に何を書いてもよいのではなく、どんな角度から書くのか「設計」が必要なのですが、その方向性のオーダーを見落としてしまっている人はかなり多く、せっかく完成した志望理由書が求められている方向と違ってしまうことが少なくありません。そうなると、どんなに苦労して書き上げても、はじめから書き直さなければならないのです。高校生の多くが「志望理由書」という書類の名称からくる印象に引きずられ、自分の言いたいことを前面に押し出しそうとしますが、それが大学の求めているものにフィットしているかどうか、よく検討しなくてはならないのです。

具体的な例でお示ししましょう。産業医科大学という大学があります。この大学の入試要項には、提出書類に含まれている「志望理由書」の「記入上の注意」に次のように書かれています。

…志望理由は、「学生募集要項」および「産業医科大学 大学案内2022」をよく読んで、本学設置の趣旨を十分に理解し、現時点における志望の動機・抱負を400字以内で記入してください…

つまり、この大学の志望理由書は、受験生が「本学設置の趣旨を十分に理解し」ていて、どのような人材を育成しようとしているかを知ることが記入前の最低限の準備であり、提出した志望理由書に「本学設置の趣旨」にそって自分の考えが述べられていなくてはならないといえます。また、自分の目指す方向性(抱負)が、大学の設置趣旨の何に合致しているかが書かれていなければ、内容的に全く意味を持たなくなってしまいます。

受験しようとしている生徒の多くは、志望理由書の添削を窓口に持ってきます。例として産業医科大学をお示ししていますので、その例に沿っていえば、私は窓口ではこんなやり取りをすることが常です。

「山口さん、『志望理由書』を書いてきたので、見てもらえますか?」

私はその時、いつも生徒に質問します。

「この大学は何を目指して設立されたか理解していますか?」
「そもそも、産業医とは何をする人でしたか?」
「卒後、自分のキャリアをどのように考えていますか?」

この質問にうまく答えられない生徒は、たいてい入試要項にも大学案内にも目を通していないか、適当に眺めたレベルの人です。そういう人の志望理由書は、残念ながら目を通すや否や「即時却下」になってしまうことが多いようです。あれほど要項に「募集要項や大学案内をよく読んで…」と指示されているのに、それらが志望理由書の内容に全くつながっていないからです。
そういう方は、志望理由書を「祖母が亡くなったことがきっかけで…」とか「自分が幼いときにお世話になった先生が…」のように、自分が「医学部を志望したきっかけ」を長々と書き連ねていることが多く、「体だけではなく、心や生活も診られる医師になりたい」系の、別にこの大学でなくてもよさそうな「やや抽象的な結論」をつけて終わらせようとします。
しかし、この大学がそういうことを尋ねたいのではないことは、上記の「よく読んで」の趣旨を考えるとお分かりになるでしょう。これでは、この大学のオーダーを無視していることになってしまいます。入試は「相手ありき」なのに、書き方そのものが「自分ありき」からスタートすることで、期待されたことと提出されたものとの「角度の差」が生まれるのだと思います。

受験生は、「志望理由」は「自分のしたいこと」という面ではなく、「社会から期待されていることを実現」しようとする内容かどうかを見られていることを知っておかなければなりません。「社会が求めていること=大学が実現しようとしていること」として捉えること、そしてそのために自分はどんな役割を果たすことができるか示そうとすることが、本来の社会人的なものの考え方ですし、大学が読みたい「志望理由書」の角度だと私は思うのです。

社会人として求められる回答

民法が2022年4月1日に改訂され、18歳は「成人」となります。すでに18歳の方は参政権を持っていますし、今後はこの年齢が「成人」になるのですから、高3生が社会人としてのスタンスで語ることが求められるのは、当たり前の時代になりました。
「まだ18歳は学生だから」と多少考えが浅くても許されたのは、今の受験生のみなさんの祖父母の時代、昭和の昔話になったように思います。これからは、「もう18歳なんだから…」と期待値の方が高まる時代に変化したといえます。時代は変わったのです。

さて、そういう社会状況があるからかどうか、面接試験のありようも若干変化してきているように思います。特に、大学からの質問の手法に工夫が見られるようになりました。例えば、コミュニケーション力や社会性のような対人力を発揮できる人かどうかを試すために、あえてトラブルのある状況を提示し、

「こういう場合、あなたならどうしますか」

という尋ね方をすることが多くなりました。その他の質問でも、細かなシチュエーションを渡してその人の行動を問う「検討項目が多岐にわたる質問」をされることが増えています。さらにいくつか、具体的なサンプルを見てみましょう。

「コロナ治療専門の100床ある病院で、今99床が埋まっている。若者1人と高齢者1人が搬送されてきたとき、あなたはどちらを受け入れるか。」(2021年 愛知医科大学での質問)

若者と高齢者のいずれを優先するかの前提には、重篤度が示されていません。ということは、数学でいうところの「場合分け」を自分で立てて考察し、それによって判断を分けるような考え方が求められています。単に一問一答のような対応ではない思考が求められているのでしょう。

「臓器提供を望んでいた青年が事故で脳死状態になるも、遺族は青年の意思を知らず困惑している。臓器提供の担当医からは早く家族と話し合うよう言われている医師であるあなたは、遺族とどう向き合うか。」(2021年 千葉大学 前期)

これは相当ハードルの高い質問で、昨年の面接試験でされた質問の中では最も難度の高いものといえます。まず、「脳死」「脳死下の臓器提供」「本人の意思表示」などの基本的な知識が必要ですね。しかも、「ドナーカード」や「保険証裏面の臓器提供意思表示」には、可能ならば…という条件付きで家族の署名をするための欄があるのですが、家族が青年の意思を知らないということは、本人が意思表示カードを作成していないケースも想定されます。家族と話をしなければならない「医師であるあなた」は、どのような方向で話をするかをかなり多角的に考えなければならないでしょう。

さらに、その質問に対して適切な言葉をその場で見つけ、うまく説明すること、つまり効果的なプレゼンが求められるわけです。これらの高度な質問を見れば、受験生が「まだ18歳だから」とは大学側が全く考えていないことがわかります。受験学年の方はそれを覚悟しなければなりませんし、高1・2生のみなさんなら、その準備のために思考力を鍛える必要があります。

これからみなさんは、大学が過去にどのような質問をしたのか、いろいろなデータベースでお調べになるのではないでしょうか。ただし、どんなに難しい質問に出会っても、決して模範回答が欲しいとはいわないでください。回答はあくまで個人が考えた軌跡から発せられたものでなければ意味がありません。回答に模範などなく、他人の回答をなぞることに価値はありません。
そんな悪戦苦闘の中でも前向きな取り組みを諦めず、あくまで自分としてどう考え、どう行動するか思考し続けると、気づけば自分の考え方が結構大人になっていることでしょう。

医学部に面接試験があるために、これを通じて受験生はしだいに自分が「社会から求められていること」が何かを考えはじめるでしょう。はじめは「私」部分が大きく、「公」部分が小さかった自分が、考え続けることによって、「公」部分が大きく、「私」部分が小さな自分になっていくものです。このことに気づいて応えることができるようになったとき、ようやく社会人として求められている回答の方向性が安定したことになるのではないでしょうか。
面接試験は人を変える力を秘めています。避けるのではなく、自らをそこに投じることで、多くの方は一歩一歩、成長するに違いありません。