河合塾グループ河合塾
学年と地域を選択
設定

学年と地域を選択すると、必要な情報がすぐに見つかる

塾生ですか?

はい
いいえ
  1. 河合塾
  2. 受験情報
  3. 医の知の森<近畿地区医学科進学情報センター>
  4. 知っ得!医学部合格の処方箋
  5. 知っ得!医学部合格の処方箋 意識していますか?~心がけ編~
  6. 自分を信じる力

自分を信じる力 知っ得!医学部合格の処方箋 意識していますか?~心がけ編~ | 知っ得!医学部合格の処方箋 | 医の知の森<近畿地区医学科進学情報センター>

2021.8.2公開

彼女の人生の「長机の端っこ」は、周りの人たちがいつも空けていてくれる

「ビリビリのギャル」が医学部合格をつかむまで・・・彼女は人生の才能を持ち合わせていました。

「それ、メモするんだ」

私が京都校にいたある年のこと、一人の女性が窓口に来られました。「医学部を受験したいのです」とその方はいうのです。年齢的にはついこの間まで高3生という風情でしたから、別に特殊なことはありません。つまり、浪人して医学部を目指そうということでしょう。
窓口でご相談する際、年齢や出身高校などのプロフィールをお尋ねするのですが、やはりその年に卒業したばかりの女性でした。高校は失礼ながら、医学部受験をするタイプの人はおそらくいない高校のようで、同級生も私立大の推薦入試を受験する人しかいなかったと言ってました。
「私、文系なんですけど、できますかね。」
やはり…、ちょっと特殊でした。世の中にはどうしてこうも不可能に近いことを簡単にいうことができる人がいるのかと、とても不思議に思います。お話を聞くと、彼女のお父さんが医師のようで、その影響があってのことのようでした。この種の依頼は予備校ではよくある話なのですが、ここからの覚悟をどう伝えるかが問題です。しかし、彼女のあまりの真顔に、初対面の私としてはなかなか厳しい言葉も使えず、とりあえずは何とか医学部受験の大変さを伝えようとして、これまでの彼女の学習方法などを確認するとともに、河合塾ではどれくらい学習することになるかを話すことにしたのです。
彼女は「メモ魔」のようで、B5版のリングノートをずっと手に持っており、河合塾でのカリキュラムや学習方法、テキストのことなど、説明したことを一生懸命メモしていました。あれこれと学習状況を確認した上で問題集の話になった時のこと、高校時代に完遂したものは特にないことがわかりました。しかも、

「同じ問題を繰り返してやる必要があるんだけれど、やっていましたか。」

と尋ねた時のこと、

「へぇー、繰り返してやるんですか、そうなんですね。」

とそれをメモしたのです。その瞬間、私は内心「それ、メモするんだ」と、驚いてしまったのです。さぁ、困ったことになりました。もう「ビリギャル」レベルの話ではありません。医学部を目指すのですから、「ビリビリのギャル」です。しかも、ここまで説教を垂れておいて「河合塾には入れません」とは言いにくくなってしまったのです。

学習をスタートさせよう

そんな経緯から、彼女は河合塾の高卒生コースで学習をスタートすることになりました。ご紹介したとおり、彼女は学習スタンスそのものから考え直さなければなりません。そうはいっても、せっかく学習をスタートさせたのだから、全力で彼女をサポートしたいと思ったものです。河合塾では、テキストのレベルがいくつかに分かれていますが、彼女が最上位のテキストで学習できるはずがなく、ベースレベルでスタートしました。
多分、彼女には学習のセンスはさほどなく、勘がさえているわけでもない様子でしたが、いくつか他人にはない才能がありました。初めの頃、私はそのことが見抜けなくて、彼女に指示をしました。

「授業の予習と復習は、とにかく徹底しなさい。他の教材は一切やらなくてよいです。」

後から考えると、このたった一言が、彼女の運命を決めることになったのです。
当時の京都校には、医進生専用の小さめの自習室がありました。ブース席が5〜6席の他、長机が黒板に面して設置してあり、来た順に好きなところで自習してもよいということにしていました。監督者を置かないので、自分たちで秩序を保つというルールです。以前、中でたこ焼きを食べようとして多浪の先輩につまみ出された人もいるくらい、彼等自身が厳格に環境を守っていたのは感心することでした。
当時の彼女はとにかく朝一番に来て、授業前にまずそこで自習をスタートします。授業の時間割には「空きコマ」がたまにあるのですが、彼女はすぐにそこに行って、そんな隙間でも自習をするのです。また、放課後には当然すぐにそこに行って閉館までずっと自習を続け、授業のない休日もずっと通学して学習を継続していました。他の生徒は息抜きをたまにしていたのですが、彼女は一切の妥協なく学習を継続していたのです。
彼女が座る席はいつも決まっていて、黒板に面した「長机の端っこ」です。出入り口に近いその席よりもブース席の方が快適に違いないのですが、彼女は遠慮しているのか、いつもそこに座るのです。彼女があまりにも常に自習室の同じ席にいるので、他の生徒は逆にそのポジションは座らないようにしていたくらいです。学習するにしても、もうちょっと緩急あってもよいので心配になったのですが、彼女に言わせるとこうです。

「だって、他に学習する方法を知らないから」

テキストの徹底とは、彼女にとってはこのレベルでやりなさいということ以外には、考えられないことだったのです。もうお気づきでしょう。彼女が持っている「他人にはない才能」の一つ目は、手加減のない「徹底力」のことです。人間にとって「全力」というのはこういう行動を指すのだろうと、私自身もおおいに勉強になったものです。

さて、それからすぐに一年の歳月が経ちました。大方の皆さんが予想されている通り、さすがに映画の「ビリギャル」が一年で慶応大に合格したように、彼女が一年で医学部に合格することはありませんでした。何しろ、「ビリビリのギャル」ですからね。もう少し時間をあげなくてはならないでしょう。しかし、ここでまた、私は彼女の二つ目の才能を目の当たりにすることになったのです。
多くの同期生が医学部に合格していくと、当然その年に不合格だった人は「取り残される」ことになります。これは、何ともいえないさびしさと悔しさが入り混じった気持ちです。「次は自分も…」という気持ちと悔しさの整理されない複雑な気持ちは、経験した人だけがわかるものでしょう。そんな時、彼女はというと、

「私は全然できていないから、当然です。ほんと、みんなすごいですよね。」

などと平然というのです。これは、学力とは別の才能でしょう。他人を妬んだり、自分と比較したりしないところです。どのようなことが起こっても、「平常心」を保つことができる…これが彼女の二つ目の才能だったのです。

医学部受験生としての彼女の強さ

当然彼女は、このレベルからスタートすれば、医学部に合格するには何年もかかることは承知していました。それでも、2年目にはその徹底した学習の甲斐あって上位のテキストに何とか達し、大方の医学部受験生と同じ教室で授業を受けることができるようになったのです。
しかし、今よりも医学部受験の難度がまだかなり高かった時代ですから、やはり普通の医学部受験生…という程度では、なかなかセンター試験の得点も取れませんし、彼女はまだまだ合格までは至りませんでした。2年目も結局は合格を出すことはなく、彼女はさらに後輩たちを先に医学部に送り出すことになったのです。それでも彼女は、不合格が決定した次の日には、翌年に向けた学習を「長机の端っこ」でスタートさせていたのは驚くべき「精神的な強さ」です。この強さが彼女の3つめの才能です。

彼女はいつものように自習室の「長机の端っこ」に座って、3年目の学習をスタートしました。後から来た後輩たちは、なぜ先輩の彼女が「長机の端っこ」にいるのか理解できないようでしたが、彼女にとってはそこが自分の原点だったから、そこにこだわっていたのだと思います。
自分をここまで持ち上げてきたのは、この席での学習だったということが、彼女の心の支えであり、そこが彼女の居場所だったのです。もちろん、誰が言い出すとはなく、その席は彼女だけが座る席にその年にもなっていったようです。
そうこうして3年目の受験生になった彼女の成績は、かなりクラスでも上になってきました。それでもどうしてもセンター試験で高得点を出すことは苦手のようでした。そこで、3年めは私立大も併願受験することにしたのです。すると何と、ある私立大では二次試験まで進み、最終的に「補欠待ち」の通知が届いたのです。これは「ビリビリのギャル」だった彼女からすれば驚くべきことです。

「補欠くり上がりの連絡はありませんか。」
「まだみたいです。」

そんな会話を数日間していた後のお話なのですが、驚くべきことが発覚したのです。ある日、「補欠待ち」だった大学からの封書が届いており、それを開封してみると何と「補欠繰り上がり合格の辞退確認」の内容だったというのです。ことが飲み込めない彼女が父親に尋ねると、そのいきさつはおおむね次のようなことでした。
彼女が留守の時に大学から電話で「補欠繰り上がり合格」の電話があったのですが、その電話に出た父が「辞退する」と伝えたというのです。大学によっては通達漏れの責任を回避するため、「辞退」したことを確認する書類を送ってくる場合があるのですが、彼女が開封したのはまさにその書類だったのです。
彼女は大学から電話があったことも、その通知に辞退を申し入れたことも父から聞かされていませんでした。お父さんには学費のことも含めて大学にはある程度のこだわりの条件があったようですが、彼女との理解に齟齬があって、出願と受験の際にそれがうまく伝わっていなかったようです。

「しかたないですよね。学費を出すのは父ですから。また、来年受験します。」

そんなことがあると、たいがいの人はショックを受けるでしょうし、少しはヤサグレルものでしょうが、彼女は何事もなかったかのようです。彼女は驚くべき「精神的強さ」で自分の「平常心」を呼び起こし、さらに学習をはじめから「徹底力」を持ってはじめようとするのです。この華奢な女性に、どうしてこれだけの「精神的強さ」「平常心」「徹底力」があるのかと、さすがの私も驚いてしまいました。これはまさに、目標はいつか必ず成し遂げられると「自分を信じる力」ということができるでしょう。これは学力以上の人生の才能といっていいかもしれません。

「長机の端っこ」

さて、そうなってきますと、また一からやり直さなければなりません。毎年学習していると、テキストに同じ問題が載っていることがあります。多浪生の悪いクセの中に「前にやったから大丈夫」という油断があります。彼女は元々「自分が賢くない」という自覚で医学部受験をスタートしていますから、そういう油断と無縁だったことはかえってよかったように思います。単純に「もう一度やっておこう」「もっと速くできるようにやってみよう」という謙虚さがあったことは、浪人を繰り返した人が伸びる秘訣のように思います。何せ、やった経験がある問題なら「できるのは当たり前」なのですから。多浪生は、その質を向上させることに気回しが必要なのです。

さて、4年目の入試本番はというと、センター試験は相変わらず得点が伸びず、出願した国公立大は不合格になってしまいました。ただし、その年の私立大受験では父がいかせたいと思っている大学のみを目標に出願し、受験しました。レベル的に少しハードルは高めです。
結果は…。2月入試であと一歩のところで及ばずでしたが、何と3月の後期入試までもつれ込んで、ついにその私立大で念願の正規合格を彼女は掴んだのです。

「合格しました。ありがとうございました。」
「普通、もうちょっと感慨深く、テンション高めでいうセリフですよね。」
「フフッ…。こういう人なんで、すみません。」

不合格でも淡々としていましたが、合格してもやっぱり淡々としているんですね。そういう強さが世の中にあってもいいのだと思います。「自分を信じる力」を彼女が持てたことは、一つの才能といっていいでしょう。

あれから8年の歳月が経ちます。もちろん、彼女はドクターになりました。彼女は今年初期研修を終了して、一人前のドクターとして医療の第一線に立っているはずです。謙虚な彼女はきっと直向きな努力をしながら、晴れがましいことはせず、また職場の長机の端っこに座っているに違いありません。
しかし、そんな人だからこそ、いつも誰かが彼女の努力を見ているように思います。そして、彼女が活躍できるように、きっと人生の「長机の端っこ」は、周りの人たちがいつも空けていてくれている…そんな気がするのです。