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2019.6.3公開

理想の自分に近づけるため、建設的に考えるクセをつけよう

「見たことのある問題」ばかり増え、「できる問題」が増えない人の特徴とは?

「アレがあればいいのに」ばかり言うな

受験生は「自分に合うもの(教材・先生)を探す」のが普通です。個人によって性格の特性がありますし、科目別に学力が違いますから、ある程度は当然です。しかし、面談で受験生の相談を受けていると、実はこの人はただの頑固なだけの人なのではないのか・・・つまり、度を越しているのではないかと思うことがあります。
多くの人は、そのものズバリに「アレがあればいいのに」と露骨にいう訳ではありませんが、言葉の裏にそういった発想を極端にもっておられることが見え隠れする方はいるものです。そういう方は、自分の手元に持っている教材を徹底することよりも、優れた友人の持っている教材を欲しがったり、手元の授業テキストの学習が不徹底にも関わらず、問題集をさらに足して学習したりすることが多いようです。
そういう習慣が身についてしまうと「見たことのある問題」はどんどん増やせますが、「できる問題」が一向に増やせません。また、定理を身につけるつもりで学習していないことが多いので、与えられた問題が「何をさせようとしているか」を見ていません。そこにあるのは、いつも「その問題の解き方」でしかないので、ちょっと出題に変化があると「違う問題」に出くわしたと慌ててしまうこともありがちです。
医学科を目指す人は優秀なはずですから、そんな人はいないと思いたいのですが、実はこういう人がいくらか混じっているのが現実です。そういう受験生は少しでも「いいもの」を求めることに必死です。あちらの問題集がいいと聞けばあちらをし、こちらの参考書がいいと聞けばこちらをする・・・。あっちの先生、こっちの先生という具合です。
しかし、受験生はいつまでもそんなことをしてはいられないのです。受験生に必要なことは、「手元のものを徹底して学習」し、その中から「定理を身につけて自分の中の知識の資源を引き出す方法を演習する」ことでしょう。一定期間は自分に合うものを探すことはかまいませんが、多少なりともそれが理想と違っていることはありがちです。ですから、ある程度理想に近いものを見つけたら、そこからは自分が合わせる心掛けが大切です。
これと同様、「アレがなければいいのに」といって、弱点を避ける方法ばかりを探すのも同様にやめておきたいものです。理科が苦手だから理科の配点の低い大学ばかりを探す。発想の根幹は「アレがあればいいのに」と同じですよね。

ある国公立大医学部志望の女子受験生がいました。理科が苦手だから二次試験で理科が課されない大学のみを選択して目指す、と私に宣言するのです。センター試験で理科が課されない国公立大医学部はありませんから、結局はまったく理科の学習をしないで済む訳でもありません。もう少し二次試験レベルまで理科の学習を頑張ればいいのに、それを嫌がるのです。二次試験で理科が課されない国公立大は全国で6つしかありません。
私と出会った当時、彼女はすでに五浪めでしたから、浪人してから高校丸1回分をとっくに越えた年月が経っていました。この間に理科の学習をちゃんとしていれば、出願先の候補をあと40大学は増やすことができたのになぁと思ってしまいます。
物事の考え方は学習の取り組みにダイレクトに現れますし、それが学力に直結し、シビアな入試結果につながります。今年ついに十浪めになったのに、相変わらず「理科が苦手」と平気で言い放つ彼女にそれが理解できているか、私にはもう確かめる気力はありません。

建設的に考えるクセをつける

受験生には多少なりとも「理想の自分像」があります。特に、学習を継続していればこれくらいは伸びているはず・・・という「学習量に見合う前進をした自分」を想定していることは多いものです。
例えば模試の成績表が返却される時、成績が「理想の自分」であってほしいでしょう。だからこそ、ある程度納得がいく許容範囲に収まっていてほしいと祈るように成績の数字を見るはずです。しかし、その数字が「理想の自分」の許容範囲に収まっていなかったらどうでしょうか。ここからの考え方が受験生の今後の運命を決めることになります。
多くの受験生は「どうしてできなかったんだろうか」と自問するでしょう。思い出せば、あそこができなかった、ここがミスだったなどと挙げることはできるに違いありませんから、常に「できなかったこと」ばかりに目がいってしまいがちです。ですから、どうしても出来なかったことへの理由を探し続け、「恐れを中心とした日常」になってしまいます。
これまでに何度もお伝えしているとおり、そんな非建設的な考えではなく、「どうしたらできるだろうか」と考えることで、自分を向上させる未来にエネルギーを使いたいものです。そうすれば、少しは前向きに「希望を中心とした日常」を送れると思いますが、どうでしょうか。

「自分のため」ばかりでいいのか

よく高校の進路講演の前説で、先生方が「自分の将来のため」と進路選択の趣旨を説明されています。それは、ある程度は正解でしょうが、本来的にはそれですべてとは私は思いません。
多くの受験生・高校生と話をしていて感じることは、彼らは意外と大人感覚をもっているということです。むしろ、「正義感」という意味では大の大人よりもまっすぐな人が多く、理想主義的なところがあります。「自分のため」という言い方はむしろ大人の感覚なのではないかと思うことがあり、彼らは自分のためだけではない何かを成し遂げることに行動の意味を見つけたがっているように思えるのです。
医学科入試では、将来に活躍する場で自分がどのように貢献できるかが、他の学部志望の人よりもリアルに描けるでしょう。地域医療や在宅医療、国際貢献などの方法も多岐にわたってあります。自分が社会で活躍する大きな目的のためには、今目の前にある、たかが「数学ができない」ことや「化学が苦手」なことは小さなことだと思えるはずです。
国際貢献しようとしている人が「英語が苦手」では困るように、「たかが入試」くらい突破できなければ、それが叶うはずないと自分に言い聞かせてみましょう。そうしたら、日常の悩みなど吹っ飛んでしまうように思います。

「10年後にドクターになった自分」が「今は受験生の自分」にアドバイスしにタイムワープで戻って来られたとしたら、何とアドバイスすると思いますか。「おい私、しっかり勉強しろよ」というでしょうか。「あんたがグズグズした生活をしているから、今の私は困っているぞ」というでしょうか。
四角い学習机の上ばかり見ず、顔を上げて外の世界に想いを馳せ、未来に自分が出会う人たちのことを想像しませんか。さぁ、自分の手元にあることからスタートです。一日一日の小さな前進が、きっと自分の将来の理想に到達させてくれるに違いありません。