「惜しかった」で済ませることは出来るのか 知っ得!医学部合格の処方箋 知っていますか?~知識編~ | 知っ得!医学部合格の処方箋 | 医の知の森<近畿地区医学科進学情報センター>
勘違いしてはいけません。「惜しかった」は「セーフ」ではなく「アウト」の一形態です
改善のチェックポイントの「3S」。本当の自分の姿を見つめ、自分の勝ち方を見つけよう。
学習パターンの自分らしさ
校舎の自習室を覗いていると面白いことに気づきます。自習しているのだから、皆さん下を向いているのですが、時折息継ぎのように顔を上げて「ふう~っ」とやるわけです。水泳に例えると息継ぎのようなものですね。長時間学習しているのですから、当然疲れてきて自然とそうなります。それの何が面白いのかというと、そのインターバルの時間が人によって違うところです。
学習に慣れていない「受験生初級程度」の現役生なら60分程度に1回という人が多いですが、慣れてくると90分、浪人生なら120分程度の継続ができるようになります。
しかし、このあたりが限界で、120分を超えることは訓練してもなかなか難しいですし、それを超えて継続する必要もそれほどないでしょう。この程度まで集中力が継続できるようになれば、むしろ他のことの精度を上げる学習にする方が現実的だと言えます。ただ、まれに180分程度平気で集中を続けられる人がいます。これは生まれついての才能といってもよく、真似しようとしてもほとんどの人はできません。
以前、ある女子受験生が「当たり前」のように語ってくれた話が印象的です。彼女曰く、
「私、夏休み中、1日1000分学習に何度かチャレンジしました」
…ですって。1000分は16時間超です。つまり、1日に16時間の学習を何度もしたというのです。机に向かうだけならやってみる人が出るかも知れませんが、日常の学習を見る限り、彼女は本当に集中してやっていたに違いありません。
「1日に1000分学習は結構大変ですよ。トイレに行くのもダッシュして帰ってこないと時間がロスになるので…」
「大変という意味はそこですか…」
と思わず笑ってしまいました。彼女の集中力は並みはずれており、180分は息継ぎなしで集中できるような人です。このマネを普通の人ができるとは思えません。私は本来一日10時間を超える学習は禁じているのですが、このレベルの話をレクレーションみたいに楽しそうにしている彼女なら、まぁ何回か「楽しんでみる」くらいならご愛嬌でしょうね。ちなみに彼女は大阪大学の医学部に合格しています。
さて、ここまででなくとも、受験生なら90分くらいは集中力がほしいところです。しかし、そういう学習パターンの改善を指導してくれる人はあまりいません。多くの人はある程度真剣に学習すれば自然と生活も改善されますから、自ずとそういう機会がなくなるのでしょうね。とはいえ、中にはいつまでも自分の学習パターンの改善点を見つけられない人もいるものです。
本当の自分の姿を見つめる(学びみらいPASSによる検証を元に)
人というのは、なかなか自分がどういう存在なのか、客観的に見つめる機会に恵まれません。河合塾ではそこをカバーするために、「学びみらいPASS」という専用のテストが実施されています。このテストは、普通の模試のように学力を測るものではなく、「知識を活用して課題を解決する力=リテラシー」や「経験を積むことで身についた行動特性=コンピテンシー」を見ようというテストです。つまり、「良い」「悪い」を測るのではなく、当の本人の持っている特性に焦点を当て、学習や行動をどのように方向づけることが自分の伸びに繋がるかを測るわけです。
元々は現役生に実施しているテストですが、今年(2021年度)は近畿地区の高卒生にも実施してみました。すると、いくつかの面白い発見がありました。一言で高卒生といっても、1年目の人と2年以上の人がいます。そこで、そこに着目した分析がちょっと面白いのです。1年目の浪人よりも2年以上の人の経験値は上ですから、大概のことは2年以上浪人している人の方がまさっています。しかし、分野によってはそうでもないことがわかりました。
統計項目のうち、例えば「計画立案力」や「実践力」は、明らかに2年以上浪人している人は1年目の人よりグレードが上です。ところが「課題発見力」だけは両者ともほとんど変わりませんでした。「計画を立案」して「実践する」力は経験年数に応じて高まっても、その内容が本当に自分に「必要なこと」だという確信は、浪人年数が増えても不確かなようです。つまり、2年以上浪人している人は、今の取り組み課題が本当に自分に「必要なこと」かを見極められず、学習が空回りしている可能性があるのです。
確かに、2年以上浪人している人の中には、経験上、そもそもの「学習の方向性がそれでいいのか」を、気にせずに学習し続けている人が多いように感じます。自分の学習を改善する工夫に欠けたり、無条件に他人の真似をしたりして、自分の学習パターンが確立していないようです。学習方法が自分の課題にフィットしていなければ、かける時間に見合ったいい結果は出にくいはずです。逆に言えば、自分にフィットしない学習方法を継続すれば「2年以上浪人する人」に自分がなってしまう可能性がある、ということにもなるでしょう。どんなに大阪大学の医学部に合格したいからといって、自分に合わなければ、無条件に先程の「1000分学習」の受験生の真似をすればいいということにはならないということですね。
自分には自分の勝ち方がある
果たして自分は「必要なこと」をきっちり学習しているか、気になるところです。先程の「学びみらいPASS」の描く受験生の課題は、30年近い現場での私の指導経験で得たことに、ほぼ合致しています。そこで、私の場合、何を見ているのかご紹介してみましょう。
改善のチェックポイントを私は「3S」と呼んでいます。「3S」とは「性格」「生活」「成績」です。人それぞれの個人の「性格」をまずは考えてみます。難問に取り組むことが好きとか、平易な問題で高得点を取る方が向いているとか、自分の個性を考える…これが一つめです。そして、それと同時に学習基盤である「生活」の改善を目指します。これまで当たり前と思っていた自分の生活様式、例えば朝の起床時間、1週間の学習計画や1日の時間配分、取り組む順番の工夫やスピード感を増す訓練など、自分の力を最大限発揮させるための改善…これが二つめです。お気づきの通り、この二つめが最も大きいと言えます。その上で自分の「成績」をチェックし、優先的に取り組む弱点を分析する…これが三つめです。ついでながら最後に、それに見合う出願大学を考えられればなお良い…というところです。しかしそれには、それを指南するコーチが必要にもなるでしょう。
ある年のこと、当時の「全統マーク模試」や「全統記述模試」ではそれなりの成績を出せる女子受験生がいました。彼女は数学が若干弱く、クラスのみんなが「半分くらいは得点できる難問」のテストをさせると、どうしても3割くらいしかできないのです。私は彼女に言いました。
「難問がみんなと同じようにできればホッとするし、気持ちいいですよね。でも、あなたにはそれは無理だと思うんです。だから、そこに時間をかけるやり方はやめて、自分の生かし方を考えましょう。平易な問題で、8割は絶対に取れるんだという自信を大切にしてみませんか。そういう学習を徹底なさい。そして、その上で受験できる大学を探しましょう。」
医学部といっても、総合大学なら工学部などの他学部と同じ問題を課す大学がありますから、彼女に合う出題レベルの大学は、それなりに探すことは可能です。難問で半分程度の得点が合否ポイントになる大学もあれば、平易な問題で8割得点することが合否ポイントになる大学もあります。もっとも彼女は、将来自分が臨床医として地域医療に取り組みたいという、明確な意思がはっきりしていましたから、それに見合う条件での大学探しも検討してみました。結果的に彼女は自治医科大に進学し、現在は地域医療に貢献するドクターとして活躍しています。
「惜しかった」で済ませるのか
「うっかり間違ったんです。惜しかった…。」
「ちょっとした計算ミスなんです。惜しかったんです。」
本当に少し注意していれば防げた間違いが減点につながると、つい言いたくなるものです。しかし、「うっかりな人」が数多くいる反面、絶対にそんなところでは間違うことがない「うっかりには程遠い人」も数多くいます。「うっかりには程遠い人」たちは、どんなに難しい問題でも「部分点」をどこかからひねり出してきますし、普通の問題なら完璧に仕上げてきます。
そんな人たちが医学部の募集定員の上位から順番に埋めていくのが入試です。「うっかりな人」たちは、果たして定員内の順位に本当に入れるのでしょうか。感覚的には「うっかりな人」の人数は「うっかりには程遠い人」の10倍くらいおられるように思います。だとしたら、「うっかりな人」が定員内で合格することは、とても難しいことに思えます。
「大学入学共通テスト」を例に取りましょう。仮に全科目で5点だけ「うっかり」間違ったら、7科目合計でマイナス35点です。「うっかりには程遠い人」が900点満点中750点とれるなら、同じ実力の「うっかりな人」は725点になってしまいます。うーん…得点率80%に毛が生えた程度ですか…。国公立大の医学部出願に必要な共通テストの得点を見ると、ボーダー得点率80%の大学は数えるほどしかありません。来年の予想ボーダーでいえば、地方国公立大で出願できるところを探せるかどうか、ギリギリというところでしょう。
勘違いしてはいけません。「惜しかった」は「セーフ」ではなく「アウト」の一形態です。洪水が玄関先まで来た…のではなく、床上浸水した状態です。ただ、「浸水したんだけど、なぜ浸水したか説明させてもらっていいですか」といっているだけです。説明はそろそろ抜きにして、水際の家から、少し高台に引っ越しましょう。
自分は果たして何者なのか、何が出来、何ができないのかを見極めること、そしてそれに見合う「なすべきこと」を落ち着いて見極め、着実な一歩を踏み出しましょう。どんな人でも、自分に合う方法があり、自分の勝ち方を身につければ、きっと「うっかりには程遠い人」になれるはずです。それは遠い将来のことでも、他人のことでもありません。今まさに受験に臨もうとしている、明日の皆さんの姿であってほしいのです。