名古屋大学×河合塾 共催イベント「名大研究室の扉in河合塾」第49回 文学部 イベントレポート | 体験授業・イベント
「世界は複数存在する?―文化相対主義と自然相対主義―」
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第1部:名大教員による最先端研究についての講演
第2部:大学院生による大学生活や研究についての講演
第3部:講演者や大学院生と参加者による懇談会
- 日時
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2022年9月11日(日) 14:00~16:00
- 会場
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千種校
- 対象
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中学生・高校生・高卒生と保護者の方
名古屋大学と河合塾のタッグで授業
名古屋大学との共催イベント「名大研究室の扉in河合塾」第49回 文学部を、2022年9月11日(日)河合塾千種校で開催しました。
河合塾と名古屋大学が共同で行う特別イベントとして、中学生、高校生、高卒生、保護者の方を対象に、名古屋大学文学部の教員の方をお招きし、講演会や懇談会を実施しました。生徒・保護者の方が名古屋大学の最先端研究者の講演を聞き、大学での研究の奥深さや楽しさを体感できる絶好の機会となりました。
- 新型コロナウイルス感染症対策のため、人数制限を設けて実施しました。
我々人間が見ている世界は、決して単一ではない
第1部:世界は複数存在する?―文化相対主義と自然相対主義―
佐々木 重洋(ささき しげひろ)教授(人文学研究科 文化人類学分野)
佐々木先生は初めに文化人類学のフィールドワークについてご説明くださいました。熱帯アフリカのエジャガムでの現地調査を例に、「普段自分たちとは違う人たちがどのような考え方をしてどのような生活を送っているのか、自分たちと共通する部分はあるのか」ということを解き明かしていく異文化理解についてお話ししてくださいました。
「我々の調査は期間が長いのが特徴です」と述べられ、1~2年程度現地に住み込んで一緒に生活をしながら文化を内側から理解しようと試みているとお話しされました。1993年から続くエジャガムでの現地調査開始当初のお写真を用いて、集落の様子や熱帯雨林の気候、村の自治の仕組み、下宿先での生活についてもご紹介くださいました。初めの頃は言葉がわからずコミュニケーションを取るのにも苦労されたそうですが、衣食住を共にすることで意思の疎通もできるようになり、現地の暮らしに馴染んでいったそうです。さらに、エジャガム人の宗教的世界観にも触れられました。エジャガムでは「不吉な死(下痢や発疹、水死など)」を迎えた者の葬儀は「悪い死」として扱われ、埋葬場所や葬送の有無、遺体の埋葬の向きなど、死に方によって葬儀や埋葬方法が異なるそうです。この違いは「悪い死」が、他者の生得的才能(=“オジェ”)を故人が妬んだり、故人が自身のオジェを悪用したりすることでもたらされるという考えによるもので、「他人に対する嫉妬や悪意という非生得的なものを抑制できない邪悪な者は、個人や共同体を崩壊させる」という概念が存在すると語られました。また、邪悪な人間のみを捕らえる「ンジョム」という薬についても述べられ、数百種以上にもおよぶンジョムの素材についても調査を重ねられているそうです。「悪い死」について佐々木先生は、「オジェとンジョムの相互作用は人知を超えた領域で展開し、人間はもたらされた結果から事態を解釈・判断するしかない。この考え方では他人への嫉妬と悪意を抑制すべきことが強調されている」と話され、「このような事例を聞き取りだけで調査することは困難で、日々の生活を長期間にわたって共にし、実際に起こった出来事を観察し、彼らと折に触れて議論することで得た情報を総合的に判断・解釈していくことが人類学の調査研究のすすめかたである」と述べられました。
続いて、こうした概念が年代や場所を問わず不変的に存在することから、多くの人が抱く「近代化やグローバル化することで人間が同じ世界の見方をするようになっていくはずだ」という考え方は、必ずしもそうとは言えないのではないか、世界の見方や思考形式は一つではないのでは、と仰いました。近代化や合理化していくことが自然科学の浸透であるとは限らないと述べられ、我々の日常においても意見の相違があったり、正義と感じる事柄が人によって違うことは多々あり、世界の捉え方は単一ではなく、進化主義や啓蒙主義には限界があるとご説明くださいました。さらに、「自然が多数存在する」という南米の民族の思考「パースペクティヴィズム(視点主義)」についても取り上げられ、人間とジャガーは同じ存在であるが、持っている身体(=自然)が異なるので視点が異なり、世界の捉え方が違うのだという思考についてもご説明いただきました。
最後に、「人間同士の衝突や共存の難しさは、我々がすべて同じ存在であるという安易な前提があるからである。そもそも身体の捉え方や、自然の捉え方が違う人たちが目の前にいて話しているのかもしれない、と考えることが必要」と語られ、「違いがあるから断絶するのではなく、自然と文化の関係のあり方における多様性を認め、対話をして、コミュニケーションを取り、妥協点や共存していく術を探ることが重要である」と講演を締めくくられました。
大学生活や研究内容を知り、将来の幅を広げる
第2部:大学院生による大学生活や研究についての講演
人文学研究科 美学美術史学専攻 川端 蒼海 (かわばた あおみ)氏
人文学研究科 西洋古典学専攻 矢越 藍子 (やごし あいこ)氏
第2部では、名古屋大学大学院文学研究科所属の2名の大学院生に、キャンパスライフや現在の研究内容をテーマにお話ししていただきました。
人文学研究科 美学美術史学専攻 川端 蒼海 氏
川端さんは初めにご自身の経歴についてお話しされました。別の国立大学に通っていましたが、学芸員を志すようになり、名古屋大学文学部へ3年次編入学し、卒業後は大学院人文学研究科に進学されたことをご紹介いただきました。次に、現在研究されている「美学美術史学」について説明をされました。高校までにはない学問であるものの、日本史、世界史、倫理などとのつながりがあること、また、芸術を創作する学問ではなく、芸術を理論的・歴史的に考察する(言葉や文章にする)学問であることをお話しいただきました。参加者の方に、教科書に掲載されているような西洋美術や日本美術の作品を例に、芸術と呼ばれるもの(絵画・彫刻・工芸・デザイン等)はすべて研究対象となることをわかりやすくご説明くださいました。その後、なぜ美学美術史に興味を持つようになったのか、興味を持たれるきっかけとなった《エプソムの競馬》(テオドール・ジェリコー/ルーブル美術館蔵)を絵画の画像をもとにご説明されました。馬の4本の脚がすべて地面から離れていることで悠々と走っている姿がよく表現できている絵画です。実は、絵画で描かれている馬は、本来の馬の走る瞬間として真実ではないが、真実と判明した後でも絵画を見た人はそれを真実のように感じること、「真実らしさ」を非常に面白いと感じたとお話しされました。
その後ご自身の研究対象の「ジョルジュ・スーラ」というフランスの画家についてご紹介いただきました。
大学1年生の冬休みに美術館を巡っている最中に、神奈川県にあるポーラ美術館で出会った作品《グランカンの干潮》がきっかけとなったそうです。作品で描かれている「点描の縁取り」が絵画や作者、鑑賞者にとってどのような意味を持つのかを研究されています。実際の絵画の中で砂浜や海の隣は違う色で縁取りがされていることで、作者のこだわりを見てとれることや実際に展示された際の額縁の様子などを例に、作品と額縁との関係や分析についてご説明いただきました。最後に、学芸員という職業について、どのような科目を履修すれば資格を取得できるのかなど、詳しくお話しくださいました。川端さんも卒業後はその道に進む予定とのことでした。美学美術史学を学ぶ上では、座学だけでなく、実際に作品を見ることも重要であるため、積極的に美術館等に足を運んでいただきたいと参加者へ呼びかけられ、講演を締め括られました。
人文学研究科 西洋古典学専攻 矢越 藍子 氏
矢越さんも初めに現在の研究に至るご自分の経緯からお話しされました。入学前は別の大学で文芸創作を専攻し、一度就職。その後、偶然手に取ったホメロスの叙事詩作品に興味を持ち、原語であるギリシア語を学ぶことにしました。アルバイトをしながら名古屋大学に聴講生として通い、その中で大学院入試に必要なギリシア語・ラテン語を学び、人文学研究科西洋古典学研究室へ進学されました。
続いて、現在の研究対象であるノンノス『ディオニュシアカ』についてご紹介いただきました。この物語はギリシア神話に登場する、ディオニュソス神がテーマの長編叙事詩で、まだ日本では邦訳もなく研究者がほとんどいない未知の作品であることをご説明いただきました。この作品は古代末期、貿易都市として様々な文化や宗教が混在するエジプトのアレクサンドリアという都市で成立しました。この時代と地域の影響を受けた『ディオニュシアカ』が持つ混沌とした要素を紐解いていくことに魅力があるとお話しされました。
次に「西洋古典学とは?」と題して、普段なじみのない西洋古典学が何を研究する学問なのかについてご説明いただきました。西洋古典学はギリシア語・ラテン語の2言語で書かれた文献を研究対象としており、時期は紀元前8~紀元後5世紀頃までと長い期間にわたり、また地域も地中海を中心として、ヨーロッパ・北アフリカ・小アジアと幅広い地域に及んでいることをご紹介いただきました。
また、西洋古典で扱う文学作品の特徴についてもお話されました。西洋古典学では人間に関わる多種多様な題材(神話伝説、英雄譚、伝記、歴史記述、哲学思想など)が取り扱われています。内容の多様さだけではなく、その表現においても違いがあります。文字がない時代に詩人が楽器に合わせて歌い語った口承文芸を起源とする叙事詩には韻律というリズムがついています。この韻律は後の抒情詩、悲劇・喜劇などにも受け継がれました。その後文字が発明され、文字で伝える書承が主流となると、韻律のない散文が増えていったそうです。このように西洋古典学では幅広い表現方法や様々なジャンルの作品を取り扱うため、自分の好みを見つけやすい分野でもあるとお話しされました。
次にオープンキャンパス時の写真をもとに、現在の研究室や研究生活についてご紹介いただきました。文学研究において重要なこととして、まずは言語の習得をあげられました。文献を記した当時の人がどのような生活をして、どのような価値観を持ち、言葉として作品を残したのか。これらを知るためにも言語を学び、原典を読むことのできる力をつけることが大切であると伝えられました。また授業ではギリシア・ローマの宗教や生活風俗も学び、論文講読、ゼミ発表を通じて「自分で考え、調べ、整理し、伝える力」を身に着けることができるとお話しされました。その後、西洋古典学で学ぶギリシア語・ラテン語について詳しくご紹介いただきました。発音は両言語ともローマ字発音と近いため慣れると読みやすく、文法などは初めのうちは難しいが、完ぺきを求めずに慣れていくことが大切であるそうです。またこれらの言語は身近な言葉の由来になっていることも多く、語源を発見する楽しさもお話しされました。
最後は、ご自身が文学を学ぶことの意義についてお話しされました。作品を読むことで浮かぶ感情や思考は人それぞれであり、その中から「なぜ?」という疑問も生まれてきます。疑問は作品に対してだけではなく、自分にも向けられます。「自分」と「作品」両方に問いかけをすることで、私たちの身の回りにある既成概念や自分の中にある潜在的な思い込みから自由になること、その気づきが面白いということをお話しされ、講演を締めくくられました。
専門分野をより深く、興味と経験・知識の交換会
第3部:講演者と参加者による懇談会
第1部・第2部の終了後、参加者との懇談会が行われました。
Q.視点主義について、民族間の対立と絡めてもう少し深くお話を伺いたいです。
A.(佐々木教授)視点主義というのは、もとは南米アマゾンのインディオに伝わる伝統的な思考として紹介されています。例えば、子どもを育てたり仲間と生活したりする面では人間の一生とジャガーの一生は同じようなことをしていますし、生物の活動としては似ています。しかし、持っている身体が違うので世界の捉え方が違ってくるのだ、という考え方です。多視点があると同時に、種間で捕食/被捕食の関係もありますので、軋轢や衝突が生まれると言えるのではないでしょうか。そしてそれは、昆虫の世界でも、植物の世界でも、人間の世界でも同様であり、従来の世界認識論ではなく、それらの世界がそもそもどのように存在しているのかという存在論として問いなおす必要があるのではないか、という議論です。
Q.城郭考古学者になりたいです。城巡りが趣味で、日本史と理系が得意ですが、国語、英語が苦手です。この先どのように進めばよいか、何をしたら良いか教えてください。
A.(佐々木教授)やはり語学はできた方が良いです。国語と英語ができないとまず共通テストが厳しいですし、二次試験でも文学部では国語と英語の高い学力は必須です。理系が得意なのであれば、建築や土木から、例えば工学部の道から進むという方法もあります。実際に考古学の発掘には土木の知識が必要とされる場合もありますし、城郭建築など、世界遺産の選定者にも工学関係の人が入っていることは多々あります。そのような進路でも将来的に文学部の人と仕事をしたり、考古学の調査研究にたずさわる機会はいくらでもあります。
Q.文学部のコース選択はどのような仕組みですか?どのくらい自分の希望するコースに行けるのでしょうか?
A.(川端さん)名大の文学部は、2年生からコースが分かれます。1年生の後期あたりで、いろいろなコースの授業を受ける機会があります。その中で自分が興味のある分野や領域を確かめながら学んでいきます。基本的には自分の希望は通ると思います。美学美術史学専攻は1学年10人程度と聞いていますが、年によって10人を超えている場合もありますので、分野の先生方と面談する際に、自分が研究していきたいことなどを話せるとより良いと思います。
Q.大学で学ぶなかで、英語などの言語自体の習得はどのくらいできるのでしょうか?また、言語学習の授業はどのような形態でしょうか?
A.(矢越さん)授業中に英語論文を読む機会があるので、実践的に読めるようになる部分もあります。また好きなもの、興味のある分野から読む力を身に着けていくこともできると思います。また英語以外の言語学習の授業形態は基本的には講読です。例えばギリシア語でしたら最初にアルファベットの読み方や発音の授業があり、文法事項を学びながらテキストに沿って短い例文から徐々に長い例文を読んでいくという感じです。基本的には英語の習得と同じような授業だと思います。
Q.今回のお話で話題にされた「世界」とは、人間一人ひとりから見た社会のことなのでしょうか?
A.(佐々木教授)もちろん個々のレベルでも見ている世界は全然違いますが、人類学の場合には研究対象の単位が原則として社会集団なので、一定程度の集団が共通で見ている世界ということになります。人類学では、そして社会学などもそうですが、個人と国家の間の中間集団を調査研究の対象とすることが基本となっています。もちろん個人レベルでも世界の見え方は違うということにも配慮し、より個人の視点を重視した研究もあります。